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吃貨美味探訪記 No.174(マレーシア編その23)「“カニ島”という名前の島で食べた海の幸──ケタム島」

 連続して恐縮だが、前回に引き続き、今回もマレーシアで食べた海鮮料理を紹介する。といっても、今回は料理を紹介するというより、それを食べた場所についてがメインとなる。その時に訪れたのは、マレーシアの首都クアラルンプールから西北西に直線距離で約50kmのところにある小さな島「ケタム島」である。

道路だと思っていたところが、実は……

 今から8年ほど前、現地の知り合い一族の結婚式に参加するためにマレーシアのイポーを訪れた時のこと。結婚式の翌々日には、クアラルンプール近郊にある知り合い一族の一人の家に泊まらせてもらった。

 その翌日、車で連れていってもらったのが、ケタム島である。といっても、その時はどこに行くのかもまったく知らず、車を降りて着いたところが、ケタム島に向かう船乗り場だったというわけである。

赤くAの印があるところがケタム島。海の向こう側はインドネシア(グーグル・マップより)

 写真の右下にある船に乗ったのだが、小さな船で、しかも密閉された船内だったので、もしもの時はどうすんのだろ?と、ちょっと不安になった記憶がある。

 とはいえ、地図と写真の水面を見ると分かるとおり、外海には面しておらず、川のような流れもないので、水面は穏やか。あまり揺れることもなく。30分ほどで小さな港に着いた。そこがプラウ・ケタム(Pulau Ketam)だった。

 マレー語でプラウは“島”で、ケタムは“カニ”。つまり「カニ島」である。中国語で書くと吉胆島となるようだ。標準中国語読みで「ジー ダン」、広東語読みだと「ガッ ダーム」で、ケタムとは音があまり似ていない。

 港から近い中心部は細い路地が通り、その脇に商店や家が並んでいる。どの道も細く、車が通るには狭く、せいぜいバイクがすれ違えるくらいしかないところがほとんどだ。

 そして、時々現れるのが、派手な色遣いの廟で、カニ島らしく、屋根の上は海の装飾となっていて、その真ん中にカニがいる。

 さらに奥まで進むと、道路脇の家が途切れ、この細い道路の正体が分かることになる。

 道路脇に並ぶ家々はすべて高床式になっていて、その下は干潟。そして、道路も同じく干潟に打ち込まれた柱で支えられた桟橋のようになっていた。道路と思っていたところは、実は地面ではなかったのだ。満潮時には、下は海水で満たされるのかもしれない。

 時々、海につながる川のようなところもあり、そこには橋が架けられている。

 あちこち散歩して、また港近くまで戻り、レストランに入って昼食にした。そこで食べたのは、当然、現地で獲れた海鮮の料理である。

 まずはカキ入りの卵焼き。奥に見える赤っぽいチリソース(だったと思う。そんなに辛くない)をつけていただく。台湾の夜市や福建省のアモイなどでも、これと似たようなものを食べたことがある。

 お次はアサリの酒蒸しのようなもの? 後から調べてみると、ここではアサリはニンニクと一緒に炒め物にすることが多いようで、英語でFried lala(lalaはマレー語でアサリ)と呼ばれている。でも日本人的には、こちらの酒蒸しのほうが好みかもしれない。

 さらには、味付けしたエビの素揚げ。殻を剥いたあとの指まで舐めたくなる美味しさである。

 そしてメインが、カニとビーフンの炒め物。見るだけでも興奮してくるところだが、実際は食べるのがちょっと面倒で、味わって食べるというより、殻から肉を取り出すことのほうに夢中になってしまい、味があまり印象に残らないのが欠点である。

 通りに貼られていた昔の新聞記事によると、この島の住民の7割が中国の潮州人で、謝という名字の人が多くを占めるのだという。潮州というのは、中国南東部にある広東省の東端、福建省と接している地域で、多くの海外移民を生み出しているところでもある。

 そこで、ケタム島の中国語表記である吉胆島の「吉胆」を潮州語でなんと読むか調べてみたところ、「ギッ ダン」だった。ついでに、ketamのマレー語での正しい発音もネットで調べてみると、筆者の耳には「ケッダム」(ダはタとダの間くらい)と聞こえた。標準中国語の「ジー ダン」や広東語の「ガッ ダーム」に比べると、潮州語の「ギッ ダン」が一番近く感じるのは、筆者の気のせいだろうか。

 ケタム島にはもう二度と行くことはないかもしれないが、思い出深い場所である。
 

佐久間賢三
9年5か月に及ぶ中国滞在から帰国してきて早5年半以上。日本での生活をなんとか続けながらも、外国のあの刺激的な日々が恋しくなってきている今日この頃。世界的なコロナ禍の影響でしばらくは海外旅行に行けそうもなく、雑誌の海外旅行特集や昔の写真を見てウサを晴らそうとするも、かえってウップンが溜まるという悪循環の中で身悶えている。