旬食うめぇ暦 (1) - 秋刀魚

晩酌に全力投球! 朝起きた瞬間から「今晩は何をこしらえて、何を飲もうか」──家飲み大好きな飲食ライターが贈る旬食コラム。旬の食材にまつわる話を歴史や文化とからめながら、楽しく語っていきます。今回はサンマです。

肝はなかなかのもの

サンマ

9月の終わり、どうしたって、サンマのことを語らずにはいられません。スーパーで白いパックに入ってるのを、魚屋で氷水に漬かってるのを、買って帰ります。

「頭をとって、内臓も捨てて……」なんてことはしたくない。新鮮なサンマなら、そのまま塩焼きにしたいものです。運が良ければ、溶ける前の内臓を味わうことができる。焼きたての身を頭のちょっと下からほぐすと、いろいろな内臓がきれいな配置のまま、ほこほこと出てきます。小さいながらも違う食感を味わえるので、酒飲みにはたまりません。

「サンマの肝は苦いだけ」って思っている方は、是非評判の良い魚屋で買って、試してみて下さい。なかなかのものですよ。あ、ただひとつ、筆者にも嫌な思い出があります。最近多い、立ち飲み形式で美味しい魚を出す個人経営の飲み屋でのこと。

ホント、3坪くらいしかないんですが、ちゃんとしたものを出してくれたんです。里芋をゴマだれであえたもの、小松菜のおひたしなんかもきちんとしていて、ちょっとした割烹にいった気分でした。

さあ、魚はと思ってお品書きを見ると「サンマの塩辛」とあったんです。“あの美味しい肝がどんなになって出てくるのだろう”……期待に胸をふくらませていると、小さな小鉢が出てきました。どす黒いグチャグチャ(明かりが暗いのもあるでしょうが)に、光り物特有の脂がうっすら浮いて、ちょこんと柚子胡椒がのっていました。

お味はひどく残念なものでした。とにかく生臭い。イガイガする苦味。柚子胡椒がそれをまた悪く引き立てていて、ひと口で箸を置きました。“気のせいかも”と、しばらくしてからまた舐めてみましたが、状況はさらに悪化。温まってしまって、塩っ辛い溶けた内臓……もう、どうしようもないですね。

「塩焼き」は明治以降

最近はサンマが獲れなくなってきたといいますが、温暖化の影響かどうか、昔からそういうことはあったようです。回遊魚ですから、気候の変化をモロに受けるのでしょう。料理書原典研究会を主催される川上行蔵さんは考古学者の樋口清之さんの話として「サンマの骨はかつて遺跡から出てきたことがない」とおっしゃっておられます。そして「文政時代(1818〜1830年)からサンマの大群が出現する」ともいわれています。

こういう話でいえば、白菜もそう。明治に入ってから栽培が盛んになった野菜で、品種改良がおこなわれるまで、なかなか日本に定着しなかったようです。「サンマの塩焼き」「白菜の漬物」どちらも明治以降の日本食とは驚きです。時代劇で見たような……なんてのは、間違いなわけですね。

“日本人の食卓が変わっていく、嘆かわしい!”という人は多いですが、食生活の変化の原因には、こういう側面もあるわけです。日本は鎖国をしていた国ですから、独自の食文化が発達した国ではあるんですが、時々流入したり変化したりする食材をうまく取り入れて自分のものにしてきたことも、わすれてはなりません。

そういう意外な話もおいおいしていきたいと思います。