旬食うめぇ暦(4) - 生牡蠣

晩酌に全力投球! 朝起きた瞬間から「今晩は何をこしらえて、何を飲もうか」……家飲み大好きな飲食ライターが贈る旬食コラム。旬の食材にまつわる話を歴史や文化とからめながら、楽しく語っていきます。

ベトナムの牡蠣は日本のわさびで食す

コレ1つで酒1合いけます

牡蠣はどうしたって、ナマじゃなくちゃいけません。”レモンだけかけて、あの海の汁気たっぷりのを一気に流しこむ”……1度やってみたいものです。アレレと思われますか。そうなんです。私はケチくさくて、いちどに食いきってしまうなんてコト、できないのです。

牡蠣はポテッとした内臓の部分と、ビラビラしたところ(外套膜というそうです)に分かれますが、これは別々に楽しみたい。まずビラビラだけちぎって歯ごたえと海くささを堪能、次に内臓部分を4回くらい小さくかじって、酒1合を飲むというペースでしょうか。

学生時代から酒飲みだった筆者は、留学先のベトナムでも大いに酒場ライフを楽しんでいました。生牡蠣の味を覚えたのは実はそのときで、日本仕込みではありません。高級ホテルのビッフェでは山積みの岩牡蠣が食べられましたが、これは日本からお客が来たときだけの贅沢。普段は小汚い酒場のメニューを見て、”おっ、ここはある!”とめぐり合えたら幸い、1つか2つ、味わうだけでした。

ベトナムの牡蠣は小ぶりで、今にして思えば、”まあまあ”の味。日本の牡蠣専門店で食べるのとは、雲泥の差だと思います。面白いのはどこに行っても添えてあるのが日本のわさびだったこと。それも100円ショップで売っているような粉っぽい大味のもので、あとはレモンもなにもありませんでした。どうしてああいう食べ方になったのか、調べてみればよかったと今でも思います。

「牡蠣はナマで食べる」が江戸の一般常識!?

さあ、日本の”牡蠣食う人々”は、どうやって食べていたのか。ちょっと思い出すのが、明治時代の中期にまとめられた『旧事諮問録』という本です。江戸幕府に関わった古老からの聞き取り調査書ですが、そこに牡蠣が登場するのです。日本が開国するかどうかのさなか、外国の要人との折衝に関わっていた旧幕臣がこんなことを話していました。

「老中(幕府の最高格にあたる重職)の家で外国人と会議をしたあと、ご馳走が出ることは出ます。でも、大して食べたいようなものは出ず、牡蠣の三杯酢を食うくらいで帰った。女を呼んで接待だなんて、ありえません」。

格式のある宴席で痛みやすい生牡蠣を出しているのはちょっと驚きですが、江戸は豊富な海産資源があったので、ごく新鮮なものを手に入れることができたのでしょう。明治に入ってからも「お台場(砲台)の崩れたところでとった牡蠣をその場で食べて美味かった」という古老の話がありますから、”牡蠣はナマで食べられるもの”という認識だったのでしょう。

江戸時代は寿司でも、酢でしめたりしない本当のナマはマグロくらいでしたから、牡蠣がそのまま食べられたという事実は新鮮です。現代でも、”牡蠣はナマで食べるのが普通”という感じはしませんので、面白い。食材をどうやって扱うかは、時代によって認識が変わっていくものなのだとあらためて思います。